. 言論NPO主催「東京-北京フォーラム」公式サイト - メディア分科会 後半 発言録

中国側司会: 喩国明氏(中国人民大学新聞学院副院長)

 110821 d 07メディアの分科会は、いつも盛り上がります。お酒が好きな方にはいろんなタイプがあります。「いいお天気ですね」というお話から、第2フェーズとなると以心伝心的な所があると思います。メディア分科会では以心伝心ができるような状況になればと思います。

日本側司会: 加藤青延氏(日本放送協会放送局解説主幹)

 110821 d katoお互いの理解が進んでいくようにお話をさせていただきたいと思います。それでは、中国側のご紹介をお願いします。

喩国明氏

 同じルールでやります。中国側と日本側で人数に違いがありますが、お一人5分以内でお話下さい。

劉北憲氏(中国新聞社社長)

 110821 d 08私は、ジャーナリスト、生まれつきの懐疑論者です。本日は礼儀正しくお話をしたいのですが、いかなる世論調査の結果も信用しないで下さい。1500人の結果で3億人を代弁することはできないのです。非常に素晴らしい努力をされましたが、世論調査というのは誤差があるということです。たやすく信用しないで下さい。そこから導き出されている結論もです。だから、真剣にこうやって議論を交わしていくわけです。ちゃんとした理性的な認識をもたなければなりません。まずはそれを信じ込まないこと、と同時に、中日双方のいかなる政治家の推測に関しても疑いの目で見ています。いかなる政治もかならず密接に関わっているところに利益というものがあります。自分のことを考える前に世界のことを考えるのは幻です。奥さんが子どもを産むというのに、ご近所の家庭の状況を考えるなんてことはあり得ません。政治の利益のために民意を左右するとか、民意を自分の手の中に収めたいという意図が無いわけではありません。いかなる政治家も自分の国の利益を代表するはずであると思い込むのはいけません。

 メディアの役割は無限に拡大させてはいけません。中日双方の関係の良し悪しのすべてをメディアに押し付けてはいけません。そのような全責任を負うべきではありません。渦が巻いている中で、ジャーナリストがもし、妥協しないとします。渦に巻き込まれないようにするのはとても大変です。想像して下さい。みなさんが優秀なジャーナリストになりたいとします。しかし、世論に渦ができてしまいました。それに抵抗する形で報道するのは、自分の命を絶つことになります。両国関係のメディアの在り方をありのままに評価すべきです。

喩国明氏

 ありがとうございます。一人のジャーナリストとしての考えをいただきました。

加藤青延氏

 後半は少し世論調査から離れまして、日本側も日本を代表するジャーナリストが参加しているので、ジャーナリスト同志の交流を進められればと思います。何を話し合うのか、テーマについて、ご意見をいただきます。

会田弘継氏(共同通信社編集委員室長)

 110821 d aidaメディアを通して生まれる相互認識が悪化した年でした。日本にとっては、大震災と福島原発の事故がありました。例えば、当初、事故はスリーマイル島レベルと想定されましたが、その後、チェルノブイリのレベル7になりました。「なぜメディアは追求をしなかったのか」「政府とメディアの騒がせたくないという暗黙の合意があったからではないか」そういう問題が出てきました。

 浙江省の高速鉄道事故でメディアは中国政府を果敢に批判しました。市民の抗議の姿を知ることができました。日本のメディアも中国のメディアも、両国で新しいメディア公共空間(Twitter,シナブログ)にて、批判にさらされました。21世紀のメディアは新たな側面に入ります。

 政府とメディアの力関係が変わりつつあります。日中相互の認識が悪化したのは、昨年の尖閣諸島、原発の汚染物質の海洋投棄があります。メディアの役割を考えるにあたって、メディアを巻き込んで、市民の前に立って本来の機能を果たすことができるかどうかという問題に直面していると思います。

加藤青延氏

 日本のメディアは幾つかの試練にさらされました。こういう問題意識をもってお話が出来ればと思います。

王発恩氏(新華通信社国際部副主任)

 110821 d 09初めてこの分科会に参加するのですが、みなさんの発言は素晴らしいと思います。パネリストの方々は私の言いたいことをほとんどすべて言ってしまいました。

 共通した認識があります。メディアが中日関係を促進する中で大きな役割を果たしています。共通認識がなければ、分科会を立ち上げる必要がありません。もう一つ。責任感です。責任の問題です。中国のメディアの立場から言いますと、大局観と責任感です。中日関係の中で中国のメディアの日本に関する報道はプラス的な報道が多いです。この前の大震災のとき、もしマイナスの報道をしようとすると材料はたくさんあります。日本の震災被災地の救援を助けるという意味で、応援するという意味でプラス的な報道をしました。報道したいと思えば、どんなことも題材になるのです。ここは大局観ということが重要になってきます。報道の内容は政治・経済からいろんな面に至っています。困惑しているのは、中日が国交を設立して40周年をまもなく迎えますが、今日でも中日の関係、一般市民の好感度が悪化しているということは、こういうことからメディアが果たす役割が新たに問われてくるのではないかと思います。メディアの責任を拡大してもいけませんが、技術が発達し、新しいメディアが生まれてきています。つい最近の鉄道事件では、インターネットサイトで一番始めに晒されました。一番重要なのは、国と私情のどちらが重いかということです。どちらを第一にするのか、どちらからしても客観的に報道されなければなりません。前半でみなさんもおっしゃったように、選択するときに既に主観が入っているわけです。もう一つ。ジャーナリスト、メディアは、ここで話すだけでなく何かの取り組みをしないといけないと思います。私の同僚は日本に駐在したことがある人ですが、この分科会は非常に盛り上がっています。しかし、単にここで話し合うだけでは何の変化ももたらしません。やはり行動しないといけないと思います。

喩国明氏

 ジャーナリストとしての責任についてお話いただきました。ここでニュースの問題を1つ。事実なら報道できます。市民が関心を持つのであればです。情報を集中的に見せることによってどのようなことになるか想像してみてください。情報は取捨選択しなくてはならないのです。もう1つ。代弁者としてのメディアは時代遅れです。今や、情報発信の担い手が多数存在しています。単なる代弁者ではなくバランサーでなければなりません。利益・感情のバランスをとって報道しなければならないのです。社会が泣いているときに泣かせるような報道を、喜んでいるときにうぬぼらせるような報道をしないことです。

加藤青延氏

 社会の公益に基づいてものを考えるのか、国益について考えるべきなのか、事実を伝えるべきなのか、バランスをとるべきなのか、ご指摘をいただきました。

西村陽一氏(北京・清華大学客員教授 前朝日新聞社東京本社編成局長)

 110821 d nishimuraメディアの責任という点でいうと、原発報道で悩んだことがあります。必要以上のパニックを社会に起こしたくないのです。しかし、だんだんと放射能に関する不安が高まる中で、報道することで起こるパニックを抑えようとする気持ちと、積極的な報道で多少のパニックは仕方ないという判断があります。

 日本のメディアは2日後にはメルトダウンという表現を使っています。数カ月後には政府がメルトダウンという言葉を使っています。最初に独自分析で見出しに使ったことについて、分析について紙面を割けなかったのが反省ポイントです。3月の事故から、1週間でレベル6という分析データは出ていました。いろいろな難しさがある中で、どう報道するかは今も悩んでいます。放射能という安全の話題が関わってくるからです。

 中国の事故があったときに、交通の安全に対する不安について、メディアの関心がグローバルに広がっていきました。尖閣とか竹島とかではなくて、国境を超えた安全の問題について、中国、日本のメディアは変わっていくのでしょうか。

加藤青延氏

 日本の現場での悩みを含めて問題提起をしていただきました。原発事故が起きたときに、一体どれだけ汚染されているのか、モニタリングが非常に遅く、ここは大丈夫とかだめだなどの情報だけで動いていました。大丈夫とされていた地域が後でモニタリングされて危険だということがわかった所もあります。放射能汚染について、被害を受けるのは住民なのに、どれだけの危険があるのかという観点での報道が無かったのが非常に歯がゆかったです。こういう安全に関する報道について、中国側はどうお考えでしょうか。

喩国明氏

 素晴らしい問題提起だと思います。西村先生の発言を踏まえて、各国政府はある特定のケースにおいて隠蔽する傾向があるという共通の問題だと思います。

王躍春氏 (新京報社執行総編集)

 初めて参加しました。新京報の読者は中日関係について先程の世論調査の大学生の見方とほぼ同じです。好感度が悪化したのか上昇したのかについて、あまり重要視しなくてもいいと思います。歴史を振り返ってみますと、中国侵略戦争があります。両国間は違う政治体制があります。こういうことは100年経っても解消できない問題です。両国の指導層の知恵に依存することだと思います。世論はメディアが方向性をつけていますが、メディアが関心を示しているのが政治・歴史だけでなく、いろいろな立場で報道するのですから、真実をそのまま、ありのまま伝えることなんですね。ここの真実とは、その事件の真相・事実を伝えるということです。もう一つは書くことの真実です。例えば、人間の体に傷があればそれは事実です。しかし、それだけでは足りず、メディアのジャーナリスト同士がこういう点を注意しなければなりません。ここで例を上げたいと思います。尖閣の事件では、図面を作りました。この図面では日本側の船と中国側の船の中央部当たりをぶつけました。他のメディアから、そして日本大使館からその図面が間違っていると指摘されました。我々はオフィシャルな報道に基づいて図面を作ったのですが、間違ってしまったのです。この事実から、的確なことをしていなかったと反省しました。

 中国のメディアの日本報道は、全体的にはプラス面が多いです。例えば、大震災の時に4名の記者を派遣していろんな報道をしました。その日本政府の対応が遅れたこと、また、震災時に日本の市民の秩序を保つ精神、冷静さ、を報道しました。その震災について、どう報道するのか、我々は専門のジャーナリストとして、自分のモラルを守らなければならないと思います。観光の特別報道もしました。特に宮城県は、震災前はとても景色が美しかったです。こういうような特別報道をしたのは、他のメディアより完全な報道でした。ほとんどのメディアに転載されたのは、我々の記事でした。この場で、日本のメディアにお願いしたいのは、中国の記事を転載する際に客観的に選択していただきたいということです。

 もう一つ、両国の経済協力について、双方の報道が足りないと感じました。民間交流も不十分です。

加藤青延氏

 中国の2つの言葉が好きです。鄧小平がおっしゃった真実を求めるという実事求是。

 もう一つは、以人為本です。この2つが大事だと思います。新京報の報道は理想に近いところがあると思います。現場で働いている方に深く敬意を評したいと思います。今の話題にはいくつか問題提起がありました。

藤野彰氏 (読売新聞東京本社編集委員)

 110821 d fujino日中のジャーナリストの対話には別組織がありまして、私はそれに関与してきましたが、常に日中のジャーナリストでの対立点として、誰のために報道するのか、ということです。中国の方から、大局観が必要であるとご指摘がありました。事実であれば何を報道してもいいというのは間違いであるという指摘があります。同意出来る部分とできない部分があります。

 大局観についてですが、中国からは日本のメディアは、何か問題があると非常にセンセーショナルに報道すると指摘されます。しかし、国民が知るべき情報は最大限提供するべきだと考えます。国益に抵触することがあったとしても、国民が当然知るべきものは、最大限取材して報じる。中国の考え方からすると、問題が大きくなればなるほど、国益を損ねるので控える傾向があるのは、日本と非常に違う点であると思います。

 かつての中国メディアと現在の中国メディアは変わりつつあると思います。今回の世論調査の結果もそうだと思います。中国における自由の空間は比較にならないほど増えています。自由で活発な報道がなされている。こういうメディアの変化は非常に高く評価しているし今後期待しています。しかし、中国の方とお話をしていると簡単に乗り越えられないギャップがあるかと思います。簡単に埋まるものではないです。こういう交流を続けるということは、相手側とどこが違うのかという点を明確に認識するということです。お互いの理解がまだまだ不十分です。

 報道が何のために存在しているのか?という基本的な問題について、日中のジャーナリストがある程度のコンセンサスを得られたらより良い仕事ができるのではないかと思います。

加藤青延氏

 日本のメディアは国益というのは考えない。右翼の方からお叱りを受けることがよくあります。国益のために放送を続けたら戦前の日本と同じになってしまうということで、国民のために報道することを明確にしています。ここは中国と違う点かと思います。

喩国明氏

 加藤先生のお話は正しいと思います。さまざまな異なる観点を持っています。このことを言うと、よく日本の記者さんから中国の報道には規制があると思われます。実は、どの国も発展する中で段階があります。自国の尺度で他国を見るのは良くないです。

 文化大革命の時に、女性は男性と同じように働ける、炭鉱に入って身体労働すると考えたのです。これは間違いです。男性の基準をもって女性に要求するのは間違えています。男女は身体が異なります。性格も異なります。日本も欧米も中国も発展段階は異なりますから、どこまで成長したのか尺度が違います。

李方氏 (Tencent常務副総編集)

  110821 d 103.11大地震が起こった後、tencentのポータルサイトでQQというツールが日本における20%の使用率、5、6万人に使われています。彼らを通して、日本で起きていることを中国へ発信していました。キーワードは3つあります。

 中国をお化けのように描く、お茶目に報道する、エンタメ的に報道する、というのがありますが、漫画家のするような誇張するような報道なのです。日本のメディアがどう報道しているかわかりませんが、中国における日本の報道を見ると、誰もが靖国神社に行きたいと思っていると描かれています。まるで漫画のようなものです。だから、日本に観光旅行に行く人が増えつつあります。日本に行けば、明治神宮を訪問して体感すると、両国間の格差があります。こういったことに注目しないといけないと思います。これから戦争をするのか、お互い嫌いあっていることばかりを報道すべきではないのです。

 漫画っぽいような日本に注目している調査だと思います。そこから、日本人のありのままの姿が感じられないと思います。ですから、アメリカのことを考えると、いかなる外交的な動きも中国では報道されています。アメリカはこういう風に報道していますが、日本の政局が日本の国民に対してどういう影響を及ぼすか分析していません。いちばんの問題は、日本を報道するとき、もっとたくさん報道すれば、ありふれた問題に関心を持たなくなってしまい、新聞が売れなくなってしまうかもしれないということです。普通の日常を報道すると、興味関心を得られない。日本にいる中国人100万人を100年前と比較すると、孫文の生きていた時代ですが、首相や首相になる人と濃厚な付き合いをしていました。しかし、現在はそうではないかと思います。思想・文化的レベルでは、100年前の交流と比較すると悲観的な現状があると思います。つまり、私たちはどうすれば、日本の国民を理解できるようになるのか、未だに昔のマインドなのか、高度成長期のせいなのか、違うのか。日本人を描くとき、ダイナミックなままで描くべきです。今の日本人が中国をどうみているのかを捉えるべきではないでしょうか。そうすれば、両国をより開放的な目で見ることができるのではないでしょうか。

喩国明氏

 中国のメディア・ジャーナリストの視点で、お話いただきました。もちろんこのような観点は全ての人が同意するわけではありません。新しい観点で考えるべきかと思います。

高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

 110821 d takaharaメディアの外にいる人間として申し上げます。前半から中国側の参加者の皆さまが、共産党の良き伝統に則って自己批判をされていることに感動しております。自らを悪魔化して、まずは日本側を批判したいと思います。

 日中関係を日本の一般大衆が理解するときに、基礎となる能力として、国際関係について理解する力、外交について理解する力、こうした能力がどうしても必要になります。そのためには、あまりにも日本メディアに載る情報が足りないのではないでしょうか。何年か前に同じような事を言いまして、外交に関する報道を増やしてくれないかと言いました。しかし、なかなか実現されません。今年インドネシアは様々な国際会議を実施する議長国となります。大変重要な国です。そのインドネシアからユドヨノ大統領が日本にやってきました。東北の災害のあったところにも行きました。それに対して、日本のメディアがどれだけ報道をしたか。非常に小さな報道しかしていないのです。目的の1つとして人々を啓蒙していく、メディアといのは市場と国家の狭間にあるものであると、自らのアイデンティティ・役割という目的があるはずですが、どれほど日本のメディア界の人たちに理解されているのでしょうか。もちろん、市場競争に勝たなければなりません。国際面を開く読者が少ないのであれば、どうしても国際面は大きくなりません。だから、報道しないという事情は承知していますが、しかしそれでいいのでしょうか。本来のメディアの存在理由を強く意識した仕事をする必要があるのではないかと思います。

 中国側に対しても批判があります。先ほどまさに挙げた事例をわたしも挙げようと思っていました。最初は新華社に出た絵ですが、日本の大きな海上保安庁の船が、中国の小さな船にぶつかっている写真がたくさん報道されました。追加的にお伺いしたいのは、訂正記事を出されたのかどうかということ、そして何を根拠に報道されたのかということです。

加藤青延氏

 このメディア対話で第1回からずっと参加されている山田さん。 

山田孝男氏 (毎日新聞社政治部専門編集委員)

 110821 d yamada2つのことを申し上げたい。1つ目は、高速鉄道のことで中国メディアの報道が素晴らしかった。2つ目に、原発の状況について中国メディアはどう考えているのか。

 高速鉄道事故のメディアの報道になぜ心が動かされるのか。何を報道すべきかという使命感を持って報道されています。中国では報道の規制がされているにもかかわらず、不利益を無視して事実を報道しようとしました。これが共感を生んでいます。日本では今、原子力村という問題があります。原子力発電を推進しようとした人たち、学者・メディア・会社などに対して、危険なものにも係らずなぜ知らされなかったのかという流れがあります。日本では、定年を迎えた記者が原子力会社に就職したりなど、報道がなかなかしにくい状況にありました。ジャーナリストはうっかりすると状況に流されてしまいます。それにも係らず、今回は素晴らしかったです。

 何がアクティブでプラスな情報なのかは判断できません。経済成長のために黙っていろというのがプラスの報道なのでしょうか。高速鉄道は40名、原発は大変です。急性の死者はいないですが10万人が家を奪われています。ロシアの場合はすぐに亡くなった方は30名、将来にわたって4000人が亡くなると言われています。11万人が強制退去になりました。日本も、ありとあらゆるものに放射性物質が結びつく危機が有りうるのです。日本には54基の原発があります。中国は2020年までに70基作ると言っています。朝日新聞の8月6日付で、中国の核兵器の開発に関わった物理学者が今や原発は無理であると発言しました。内地は水が無いから無理だと。中国のみなさんは原子力発電の危険性、日本人は原子力発電も安全だと思っていたのですが、今回のことで明らかとなりました。

王躍春氏

 例としてあげました。ニュースで詳細がわかっていないときに、図を作るべきでないという例をあげました。これは例としてあげたので本題ではないので、終わった後にお話が出来ればと思います。

喩国明氏

 マイナス的な問題を報道するときに、嬉しいこととするような報道はしません。マイナスなものにもかかわらずプラスのように見せて報道することはしてはいけないからです。私たちが強調したいのが、100本報道したとして、どのくらいのバランスなのかということです。この時、両国の発展に役立つものなのでしょうか。例えば、高速鉄道をプラス的に報道することは不可能だと思います。事件はマイナスに報道せざるを得ないと思います。

 中国では、全体の3%に満たない原子力発電です。将来的には15%程度を目標としています。日本は3割と聞いていますが、これは私たちにとって教訓になると思います。安全を強化するという方向です。

劉北憲氏 (中国新聞社社長)

 全ての新規原発の手続きを停止しました。全て検査を開始しています。

加藤青延氏

 どこが問題だったのか、日本だけの教訓ではなく、世界で生かしていただきたいのです。

喩国明氏

 それでは質疑応答に移りたいと思います。

北京外国語大学の学生

 ジャーナリスト、メディアのみなさん、とても大変なお仕事をされていると思います。ジレンマがあると思います。マイナス的なことを報道すると、国民を絶望させてしまうかも知れません。プラス的な報道ばかりだと、マイクロブログでこんな事件もあるんだと批判にさらされます。質問もあります。私はインターネットで、ある作家の方をみました。親族訪問で帰国していました。中国に行ってから、どれだけ深刻なのかを始めて知ったとありました。なぜそのようなことになっているのでしょうか。

 日本の地震発生直後では、再臨界の可能性もあると報道しました。最初メルトダウンと認定してずっと分析を進めても再臨界の可能性は低いと見ていました。核分裂が起こるということまではおこらないと見ていました。花粉症のマスクは放射線を割けるためだったと報道した海外メディアもありました。日本のメディアでは、情報公開をしないよう政府に公開を求めるキャンペーンを実施したりしました。

 中国に帰って初めて震災の深刻さをわかったというのは、ある意味あり得ることです。日本ではメディアが進んでいるので情報がありました。

 マグニチュード9.2、四川大地震は7.2でしたが、7万人が無くなっています。ハイチではマグニチュード7.2で10万人が亡くなりました。地震そのものは大きかったのですが、日本では被害は小さかった。東京ではかなり揺れを感じましたが被害は少なかったです。海外メディアは次のように報道しました。「安全な社会をつくる」。実際、安全な社会だった。東京の人たちは東北の映像、写真を見ていなかったのです。中国に行くと写真を見て知るということなのです。

馬為公氏(中国国際放送局副総編集長)

 東日本大震災では、枝野官房長官に対してたくさんの質問が出ているかと思います。政府の代弁者ではないのです。先ほど山田さんと藤野さんのご発言に、共通点をみました。私たちは長年フォーラムに参加していますが、今日ようやく気がつきました。つまり、同じような悩みにぶつかっていることに気が付きました。誰のために報道しているのか。メディアの原点は何なのか。日本人にせよ中国人にせよ、読者に対して責任をとれる報道をしたいと思います。

喩国明氏

 発表を聞いているとびっくりしました。もし西洋のジャーナリストがこういう話をすると、2万人の死者を出した大地震が小規模ですと言うなら驚きます。中国では2万人の死者がでても驚きます。

下村満子氏

 私の故郷が福島県で深く関わっていまして、新しいプロジェクトを進めようという時に地震が起こりました。東京電力の原発のメンテナンスをする協力会社の社長が私の友人で、命からがら逃げ出して、SOSが私のところにきました。地震があった一週間後にです。そういう状況でも、何度も原発に社員を派遣しなければならない状況だったのです。

 現場にいって日本のメディアに疑問を持ちました。ほとんど現場にいる方が、逃げてしまったからです。福島のローカルの駐在員は本社に戻ってしまったということでした。下請けである私の友人の会社は逃げられないのです。東京電力との契約上からです。避難所はたくさん報道されましたが、ほとんどホームレスのような生活をさせられています。東京電力本社はいい生活をして、実際は下請け孫請けが毎日危険な仕事をさせられているのです。何でこの人達を誰も助けないのでしょうか。食事さえも満足に無いのです。大新聞社も危ないところには行くなという禁止令を出して、フリージャーナリストが代わりに行っていたという話もあります。

 地元の福島の社員たちが、食べるものも着るものも無いのに、何で言わないのでしょうかと。でも言えないのです。仕事がなくなるからです。コンパスで線を引いて入れなくしたので、仕事を辞めざるを得ない地域がありました。そういうことを知らない人が勝手にコンパスで引いた基準をつくったりしているのです。こういうことを、日本の一番真実に近いところにいたので、そう感じました。

【質問】 中国国際放送局

 日本と中国のメディアが同じ事件に対して異なる視点からの報道が議論されました。例を挙げると深圳で行われているスポーツ大会です。日本のサイトにいくと、結果、ユニバシアードを開くために不可解なマイナス的な報道が目立ちます。日本側のパネリストもおっしゃったように、中日メディアの双方が交流をしていますし、反省もしています。しかし、なぜ日本のメディアで中国のマイナス報道が多いのか。さらに国民感情が下がり続けています。なぜ反省しながらもそういう状況が続いているのでしょうか。

藤野彰氏

 我々の基本的な立場としては、バランスをとりたいと考えています。そして、多角的な報道をしたいということです。現実問題として、日本のメディアにおいて中国の色々な出来事のマイナスの報道が多いのは事実です。というのは、中国においては、重大な問題が起きた際にできるだけ我々は正確な情報を得たいと思うのですが、中国国内で取材しても出てこない事が多いのです。重大ニュースの場合は新華社がやりますが、欲しい情報を出してくれないのです。どうしても非公式な情報に頼って記事を書かざるを得ないという状況になります。苦労が多いニュースになればなるほど、センセーショナルと批判を受ける報道になってしまう傾向があります。

 自己弁護的な言い方にはなりましたが、我々はもっと情報公開を進めていただきたいということです。この30年間でかなり情報公開は進みました。ただ、我々が期待している基準で言うと不満に思う点があります。

王発恩氏

 私は1点だけ感想を述べたいです。マイナス的な報道とは何かという点について、悲しいことを楽しいこととして報道するわけにはいかないのです。メディアがどれくらいの分量で報道するか。それが民衆に方向性をつけます。編集者には責任があります。

喩国明氏

 白熱した議論ができたように思えます。ディスカッションを通して思ったことがあります。いかなる問題の議論をする際にも、大きなマクロ的なもの、ミクロ的なものを分けて議論しなければなりません。孔子がこう言いました。父が間違いを犯したときは、子どもが隠さないといけない、と。これは家庭の倫理上必要なことです。どんなことがあっても間違いがあれば正さなければならないとなると、家庭の平和が乱されるということです。小さなことで大局を乱してはいけないのです。

 中国の統計法があります。スタッフが国勢調査をインタビューするとき、違法な収入がわかったときでも、公安局に届けたりしてはならないということです。犯罪行為を知っているのであれば報告しなければならないのですが、統計局は個人情報として秘密を守らなければならないのです。いかなる問題にもミクロ的な面とマクロ的な面があると思います。

カテゴリ: メディア対話話

親カテゴリ: 2011年 第7回
カテゴリ: 発言録